ごあいさつ
江戸越えのお宮さまへようこそ
戸越八幡神社の紹介
当神は人皇百四代後柏原天皇の大永六戌丙年(1526年)八月十五日、村内藪清水水源地から御神体が出現し、行永法師が草俺に奉安して、山城国(京都府)石清水男山八幡宮の御分霊を勧請して倶に祀ったのが、創立の起源であると伝える。
御祭神は誉田別命「応神天皇」で、深く内外の政治に意を用いて、文学を奨励し殖産興業を盛にし多くの池溝を開き灌漑の便を計り、大船を作って交通の道を開き、朝鮮の百済王から縫衣工女真毛津を呼び、弓月君が百二十七県の民を連れて帰化し養蚕絹織を始め、阿直岐が良馬を引いて来博士王仁が論語千字文を携えて来た。
その他縫工造船の技術を盛にされた。
天皇は厄除開運の御神徳と共に、我国文教の祖、殖産の守護神として崇められる。
御陵は恵我藻伏岡陵で、大阪府南河内郡南大阪町にあり古墳としては仁徳天皇陵に次いで二番目の大きなものである。
本殿
安政二年再建
御祭神:誉田別命
例大祭:九月第二土曜・日曜
旧稲荷社
昭和四十一年再建
御祭神:豊受姫命
旧春日社
昭和四十一年再建
御祭神:天兒屋根命
ご由緒
江戸越えて清水の上の成就庵
ねがひの糸のとけぬ日はなし
ねがひの糸のとけぬ日はなし
これが「戸越」の地名の始まりと伝えられる。
「八幡宮出現由来記」寛永廿末年九月行慶寺刊行の木版本によれば、この成就庵は、昔俗称一本杉の字名のある所の庵寺で藪清水の池を控えて一般の信仰を集め、遠近から参詣するもの引もきらず、大永年間に行永法師が諸国行脚の折この庵に立寄り、折柄の十五夜の月を眺めて、時を移しうたた寝して、夢に輝く光を藪清水の池から放っているのをみて、池の中を探して、誉田別命(応神天皇・八幡大神)の御神体の出現をみたので、謹しみ戴いて茲に小祠を建てて祀った。
今の一本杉元八幡宮はその跡と云う。
それから数十年後の文禄元年に八幡山行慶寺の開山念誉上人が、現地に八幡宮を建立し、御神体を奉安し本地阿弥陀仏と共に祀った。
その後、江戸繁昌の時、南浦の地である当地を寛永十一年御検地の節ニ反五畝十五歩を除地としての御朱印を受け、元禄元年十二月十五日に宮居を現在の地に遷し、末社に春日社、稲荷社を建立 した時の別当は行慶寺覚誉上人であった。
御神体奉安の御厨子は、明和七年十一年十五日讚州丸亀の京極家家中の吉田喜助清享の奉納寄進によるもので現存する。
又御神座の御褥二枚がある。
その一枚は天明五年に、他の一枚は寛政元年九月に、何れも吉田一族の寄進にかゝるもので、これも現存する。
社殿の構成は、武蔵風土記稿の記事と比べて、その大きさに大差のない点から社殿建立は二百数十年前のもので、安政ニ年(1855年)八月十五日改築せられ、現在の欅造入母屋造りの社殿で、以来百十余年を経過している。
社殿・文化財
神楽殿
昭和四年再建
手水舎
昭和40年再建
社務所
平成3年12月改築
神輿奉安庫
本社神輿
狛 犬
戸越八幡神社石造狛犬
絵 馬
戸越八幡神社奉納絵馬
さし石(力石)
ご祈祷
神前結婚式、安産祈願、お宮参り、七五三、地鎮祭等
随時受付致しております。
※神前結婚式の詳細はこちらをご覧ください令和六年の厄年生年表
男性の厄年 | 前厄 | 本厄 | 後厄 |
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平成13年生まれ (24歳) へび |
平成12年生まれ (25歳) たつ |
平成11年生まれ (26歳) うさぎ |
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昭和59年生まれ (41歳) ねずみ |
昭和58年生まれ (42歳) いのしし |
昭和57年生まれ (43歳) いぬ |
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昭和40年生まれ (60歳) へび |
昭和39年生まれ (61歳) たつ |
昭和38年生まれ (62歳) うさぎ |
女性の厄年 | 前厄 | 本厄 | 後厄 |
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平成19年生まれ (18歳) いのしし |
平成18年生まれ (19歳) いぬ |
平成17年生まれ (20歳) とり |
|
平成5年生まれ (32歳) とり |
平成4年生まれ (33歳) さる |
平成3年生まれ (34歳) ひつじ |
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昭和64年生まれ (36歳) へび |
昭和63年生まれ (37歳) たつ |
昭和62年生まれ (38歳) うさぎ |
|
昭和40年生まれ (60歳) へび |
昭和39年生まれ (61歳) たつ |
昭和38年生まれ (62歳) うさぎ |