社紋

ご由緒

江戸越えて
清水の上の成就庵
ねがひの糸の
とけぬ日はなし


これが「戸越」の地名の始まりと伝えられる。

「八幡宮出現由来記」寛永廿末年九月行慶寺刊行の木版本によれば、この成就庵は、昔俗称一本杉の字名のある所の庵寺で藪清水の池を控えて一般の信仰を集め、遠近から参詣するもの引もきらず、大永年間に行永法師が諸国行脚の折この庵に立寄り、折柄の十五夜の月を眺めて、時を移しうたた寝して、夢に輝く光を藪清水の池から放っているのをみて、池の中を探して、誉田別命(応神天皇・八幡大神)の御神体の出現をみたので、謹しみ戴いて茲に小祠を建てて祀った。

今の一本杉元八幡宮はその跡と云う。

それから数十年後の文禄元年に八幡山行慶寺の開山念誉上人が、現地に八幡宮を建立し、御神体を奉安し本地阿弥陀仏と共に祀った。

その後、江戸繁昌の時、南浦の地である当地を寛永十一年御検地の節ニ反五畝十五歩を除地としての御朱印を受け、元禄元年十二月十五日に宮居を現在の地に遷し、末社に春日社、稲荷社を建立 した時の別当は行慶寺覚誉上人であった。

御神体奉安の御厨子は、明和七年十一年十五日讚州丸亀の京極家家中の吉田喜助清享の奉納寄進によるもので現存する。

又御神座の御褥二枚がある。

その一枚は天明五年に、他の一枚は寛政元年九月に、何れも吉田一族の寄進にかゝるもので、これも現存する。

社殿の構成は、武蔵風土記稿の記事と比べて、その大きさに大差のない点から社殿建立は二百数十年前のもので、安政ニ年(1855年)八月十五日改築せられ、現在の欅造入母屋造りの社殿で、以来百十余年を経過している。